2006.6.30 K-1 及び 2006.7.1 PRIDEについて

2006.6.30 K-1 WORLD MAX世界一決定トーナメント
  1. 2006.6.30 横浜アリーナでK-1中量級(70キロ以下)の世界一決定トーナメントが行われた。日本期待の魔裟斗は準決勝で前年王者のアンディ・サワーに判定負けし結局優勝したのはヴァカーオ・ポープラムツクであった。

    魔裟斗(1979年3月10日生まれ⇒年数:8、月数:3、日数:1 波動指数:18ポイント⇒ ダブル転換点) VS 小比類巻貴之(1977年11月7日生まれ⇒年数:6、月数:11、日数:7 波動指数:33ポイント)

    小比類巻は前蹴りを連発し1回、2回を互角に戦った。しかし最終回に魔裟斗の左フックを浴び、ダウンし判定で負けた。

    <コメント>

    過去の対戦は、1勝1敗であり今回が決着戦であった。(小比類巻は19才の時、18才の魔裟斗をキックでKOしている。しかし実力をつけた魔裟斗は2003年にK-1世界王者となり小比類巻を問題にしていなかった。)小比類巻は、ヴァカーオから学んだ前蹴りを効果的に自分のものにしたが、最後の決め技がないため、勝てないのである。

  2. 佐藤嘉洋(1981年1月25日生まれ⇒年数:1、月数:1、日数:7 波動指数:42ポイント) VS ヴァカーオ・ポープラムツク(1982年5月8日生まれ⇒年数:2、月数:5、日数:8 波動指数:27ポイント)

    ヴァカーオが変身した。キックをあまり出さず、パンチで佐藤からダウンを奪ったのである。2回開始直後の18秒にヴァカーオの左フック一発で佐藤をKOしてしまった。

    <コメント>

    同じムエタイ出身で互角の戦いになるだろうと思っていた。しかし、ヴァカーオは変身していた。ムエタイスタイルはキックがメインであるが「K-1スタイルでは、キックよりパンチの方が有利である」と考え、パンチ力の猛特訓をしたからである。


  3. 魔裟斗(波動指数:18ポイント⇒ダブル転換点) VS アンディ・サワー(1982年11月9日生まれ⇒年数:2、月数:11、日数:9 波動指数:39ポイント⇒ダブル転換点)

    1回、2回と全く互角の打ち合いだったが、3回の後半にサワーの左フックを浴びロープに後退し、その直後サワーの勢いに押されてバランスを崩した為ダウンをとられてしまい、その結果魔裟斗は判定負けとなった。

    <コメント>

    魔裟斗は小比類巻との初戦で予想以上に消耗していた。小比類巻のローキックを浴び、左足にダメージを受けていたのである。2005年はザンビディスとの戦いで左足を骨折し、サワーとの対戦を欠場した。初戦でサワーと対戦していれば魔裟斗が勝っていたかもしれないが、残念ながら波動指数は18ポイントでダブル転換点であった。サワーの方が39ポイントと高かった。 そのため実力が互角の時は波動指数が勝負を決定したのである。

  4. ヴァカーオ(波動指数27ポイント) VS アンディ・サワー(波動指数39ポイント⇒ダブル転換点)

    サワーは初戦のカラコダ戦、準決勝の魔裟斗戦で消耗してしまった。一方のヴァカーオは初戦の佐藤を2回KOし、準決勝ではクラウスを破ったドラゴを全く問題にせず、判定勝ちとした為、無傷であった。2回、ヴァカーオは左フックでサワーをダウンに追い込み、左アッパーの連打で2度目のダウンを奪い最後は右ストレートでKO勝ちした。

    <コメント>

    ヴァカーオは2005年に決勝で判定負けしたサワーに雪辱し、2年ぶりに世界王者となった。サワーは「魔裟斗との対戦でダメージを受けた。」と悔しさをにじませて話していた。 
    「K-1スタイルは、キック力とパンチ力の両方を備えた者が勝つ」ということをヴァカーオによって証明された。
2006.7.1 PRIDE無差別級GP


フジテレビが6月5日にPRIDEの放送中止を宣言した為、PRIDEのテレビ放映はスカイパーフェクTV180chで生放送された。 私はテレビ観戦することは出来なかったが、波動指数を見て日本選手は不利であると思っていた。 翌日、スポーツ新聞で試合結果を確認したが残念ながら予想通りであった。

  1. 吉田秀彦(1969年9月3日生まれ⇒年数:7、月数:9、日数:3 波動指数:17ポイント) VS ミルコ・クロコップ(1974年9月13日生まれ⇒年数:3、月数:9、日数:4 波動指数:45ポイント)

    吉田はミルコに蹴り倒されてしまった。ミルコは左ストレート、左ハイキックを浴びせた後、右ローキックの連打で、吉田の左足を破壊してTKO勝ちとした。

    <コメント>

    ミルコのキックは芸術品であり非常に切れる。吉田としてはミルコ対策としてミドルキックとハイキックを警戒していたがローキック対策はしていなかったのである。アントニオ猪木がモハメド・アリにローキックを決めて以来、ボクサーに対してはローキックで攻撃することが定番となった。ミルコも吉田の弱点は足にあると考え、吉田の足を粉砕したのである。

  2. 藤田和之(1970年10月16日生まれ⇒年数:8、月数:10、日数:7 波動指数:21ポイント⇒ トリプル転換点) VS ヴァンダレイ・シウバ(1976年7月3日生まれ⇒年数:5、月数:7、日数:3 波動指数:22ポイント⇒ ダブル転換点)

    藤田はシウバの攻撃をはね返し、相手のキックを封じるため懐に飛び込んで左ひざをつかんだ。しかし、シウバに三角絞めを決められ後手後半にまわった。 1回9分過ぎにパンチとキックを顔面に乱打され、もうろうとなった時セコンドがタオルを投げた。

    <コメント>

    藤田はトリプル転換点であった為、実力が発揮されずに終わった。 シウバもダブル転換点であったが完全な大物であり崩れない。 それゆえバランスの良さが勝負を決めた。

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