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2009年5月26日 内藤世界戦とDREAM・9
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(1)WBC世界フライ級タイトルマッチ
国民的英雄で元いじめられっ子の内藤大助(1974年8月30日生まれ⇒年数:3、月数:8、日数:3 波動指数:30ポイント)の5度目の防衛戦であり、対戦者は中国の熊朝忠(1982年10月3日生まれ⇒年数:2、月数:10、日数:3 波動指数:39ポイント)で、小型マイク・タイソンと称されるハード・パンチャーである。
私は内藤の楽勝だろうと思っていたが、アクシデントが発生した。試合3日前に世界戦の開催地が上海から東京に変更され、前代未聞の醜態を演じたのである。
試合内容も内藤にとって不本意な内容となった。
内藤はキャリアの差で序盤を有利に展開したが、油断したのか6回に熊朝忠の右フックを決められダウンしてしまった。
8回にも逃げる時にパンチを当てられダウンしそうになったが、ロープに助けられた。
その後は内藤がキャリアの差を発揮してうまく逃げた。判定は3−0で内藤が勝ったが、上海で開催されていたら負けていたと思える。
90日以内に最強の敵ポンサクレックと対戦しなければならず、試練はまだまだ続くと思われる。
(2)DREAM・9
@山本KID徳郁(1977年3月15日生まれ⇒年数:6、月数:3、日数:6 波動指数:33ポイント)対ジョー・ウォーレン(1976年10月31日生まれ⇒年数:5、月数:10、日数:4 波動指数:45ポイント)
神の子KIDは右ひざ前十字靭帯断裂の手術を乗り越えて512日ぶりにリングに上がった。しかし本来のスピードはなかった。
それに対しアマレス世界王者のジョー・ウォーレンはタックルからテイクダウンを奪いKIDを圧倒した。
KIDは得意の打撃にもちこめず判定負けとなった。試合感を取り戻す為、猛練習が必要と考える。
Aミノワマン(1976年1月12日生まれ⇒年数:5、月数:1、日数:3 波動指数:45ポイント)対ボブ・サップ(1974年9月22日生まれ⇒年数:3、月数:9、日数:4 波動指数:34ポイント)。
ミノワマンはボブ・サップにマウントポジションをとられたが、冷静にタイミングを見極めて、アキレスけん固めで逆転勝ちした。
わずか1分15秒で仕留めてしまった。
B川尻達也(1978年5月8日生まれ⇒年数:7、月数:5、日数:8 波動指数:39ポイント)対J・Z・カルバン(1983年7月6日生まれ⇒年数:3、月数:7、日数:6 波動指数:23ポイント)
カルバンはHERO’Sミドル級の王者であり打撃を得意としている。それに対して川尻は寝技で対抗した。
カルバンからテイクダウンを奪い有利に展開し判定勝ちとした。
C所英男(1977年8月22日生まれ⇒年数:6、月数:8、日数:4 波動指数:48ポイント)対エイブル・カラム(1987年4月21日生まれ⇒年数:7、月数:4、日数:3 波動指数:42ポイント)
闘うフリーターの所英男は2連敗しているため後がなかった。
テイクダウンの奪い合いとなったが最後は所がチョークスリーパーホールドで勝った。
D崔洪万(1980年10月30日生まれ⇒年数:9、月数:10、日数:3 波動指数:33ポイント)対ホセ・カンセコ(1964年7月2日生まれ⇒年数:2、月数:7、日数:2 波動指数:24ポイント)
元大リーガーのカンセコはゴングと同時に崔のあごをかすめる右フックで場内をわかせたがそこまでだった。体力差のある崔が一気に仕掛け、上に乗りパンチをあびせ試合を終えた。
※日本に未来はあるか?
宮田八郎著「データで読む日本」(TKC出版)に次のように書いてあるので紹介したい。
@1990年代はグローバリズムが世界を支配した。
グローバリズムの思想は市場主義と要約できる。市場主義は資本主義や民主主義とワンセットで示される。アダム・スミスが経済学の基本としたのは個人主義と自由主義だった。
人間に利己心と利他心の両面があるが、人間の行動で先に来るのが利己心である。利己心の行き過ぎを抑制するのが利他心である。
欧米の思想は例外なしに個人を起点とする。スミスは個人の利己心と社会の調和は可能かということを理論の要点とした。
スミスは利益の追求が市場原理という「神の見えざる手」によって全体の調和をもたらすと考えた。
マルクスが喝破したように市場原理と自由競争は弱肉強食、貧富の差の拡大つまり少数の大財閥と多数の貧者を生み出しかねない。
現在のアメリカ社会は、貧富の二極化が進み、産業資本主義は金融資本主義へと変貌し、金融資本主義は情報資本主義へと変化していった。
さらには金融資本主義はマネーゲーム資本主義の本質を露骨に表し情報資本主義は情報操作資本主義へと堕落してしまった。エンロン事件やイラク戦争などは情報操作の例である。
アダム・スミスが経済学で問うた事をミクロの経営学(組織論)で問うた人物がバーナードである。
バーナードは組織の構成原理を個人の意思決定からスタートし、組織という全体が可能になるには何が必要かと問うた。
バーナードは個人と組織の調和的な一致のためには組織道徳が必要だという結論を導き出した。
組織道徳とは事業の目的と責任の意識が構成員間で共有されるとき形成されるものである。
組織全体の目的意識(理念)があって初めて個と全体とが調和的に一致することが可能であるとした。
アダム・スミスの解答は市場原理で、バーナードの解答は組織道徳である。
バーナードは利益追求に基礎を置いた時、マクロ理論はいざ知らず企業組織は原理的に組織道徳の存在が不可欠であるとした。
組織道徳の必要性は絶対的であるが、リーダーシップをとる人物が経営、経済、政治に登場するのは保証の限りではない。
Aマックス・ウェーバーが20世紀初頭に表明したのは産業資本主義を生み出す土壌がプロテスタンティズムにあったという思想である。
生活全体を神の御心に適うように徹底して変えることが企業の成立にふさわしい。まじめな経営者とまじめな労働者を用意し、そのように組織された経営から富の蓄積が生まれる。
その集積が産業資本主義の形成を可能にした。
問題は資本主義がキリスト教から生まれたというならば、現在のアメリカのようなマネーゲーム資本主義、情報操作資本主義へと変質してしまったのかということである。
宗教的な意味付けが蒸発したとき、資本主義の堕落形態となるからである。
Bグローバリズムは市場主義の堕落形態でありながら、それを隠して理念型の市場原理を武器として東洋思想の堕落部分を指摘し、自らに都合の良い要求を続けている。(東洋思想の堕落部分とは権威主義、公私混同、私欲の追及をいう)
グローバリズムでは組織や経済社会を調和させることが出来ない。そのためグローバリズムは崩壊の危機に瀕している。
自らの組織論の崩壊を顧みず、マネーゲーム資本主義を世界に拡散させようとするのは不幸なことである。自らの立場や哲学を主張できない卑屈な国民性に将来はない。
東洋思想とは修身という道徳の実践に個の確立を見、これと経世済民という経営と経済の営みを分離しないでとらえるところに特徴がある。
東洋思想は個の原理の中にすでに全体の調和というDNAを取り込んでいる。自らの内に調和を生み出し、それを周囲に拡大していく。
東洋思想の堕落形態は自己確立のない公人(官僚)が国家の権威を振りかざして私欲の追及により、経営機能を衰退させた不祥事とその隠蔽は起こり続けてきた。
つまり、権威主義、公私混同、私欲の追及という堕落形態に陥る。
C世界宗教の存在理由は、それぞれが特有の機能を持って存在し、互いに補うことにより人類の救済と完成を達成することにある。
ユダヤ教はキリスト教のルーツとして唯一神信仰の原型を提供した。
キリスト教は神と人間の連続性を回復するためにキリストの贖罪と信仰による救済を示した。
イスラム教はユダヤ教が示す預言者の系譜に連なり、神の前の信仰による生活を強調する。
仏教は修養と正しい生き方からもたらされる悟りによる成仏の道を示す。(ブッタは宇宙即我の意識により創造神の意識と同通したことにより人間は神の子であると認識する。)
儒教は社会の構成原理の意識と社会における人間の出処進退の道徳を示す。
神からの啓示による宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)と道徳宗教(仏教、儒教)は人間を創造神に結びつける両輪になる。
D現代の混沌の原因は先進国における宗教の感化力の弱まりである。真に力のある宗教が無くなったことに原因がある。
宗教が知的領域のことになり生活から遊離し実践への影響力が失った為である。陽明学は家庭生活を修身の機会とし知行合一こそ修身の工夫であるとする。
欧米人がグローバルスタンダードと位置づけているのがキリスト教である、キリストによる救済という他力信仰が特徴である。
悟りと修養によらない救済の道を示す。すなわち信仰による受容という行為がキリストの贖罪による救済をもたらすという。
神から来る罪の赦しを受け取る信仰に現在のキリスト教の独自性がある。これはパウロによって流布された他力信仰であった。
パウロは転生して親鸞として他力信仰を説くが、その本質は同じである。(聖徳太子の「未来記」では三大悪僧の一人が親鸞であるとして他力信仰を戒めている。)
キリストを信じてもキリストのように生きない信仰というものが堕落形態として存在している。
欧米の歴史は堕落型キリスト教(他力信仰)の歴史であった。
E本当のキリスト教とは何か?
イ.受容の信仰で救済され ロ.キリストとの生ける人格的関係が確立され ハ.キリストの言葉に従う。
この3ステップがあって本当のキリスト教である。逆に言えば、キリストの言葉に従う行為に関しては難行道の領域(仏教、儒教)の法が豊富である。
欧米のキリスト教は真正キリスト教の変質、未熟の歴史でもある。
<現代のキリスト教の弱点>
贖罪の受容という救済の核心を強調する一方で、生活と人生の中で神キリストとの人格的関係に入ることとキリストの言葉を生きることの実践が無かったことにある。
受容→信仰→行為というステップが受容のみというワンステップ又は受容→信仰というツウステップで止まる。あるいは受容→信仰→宣教に変質する。
自省、修養のない宣教は行為が蒸発した宣教であり、異教徒を説得、感化することはできない。
異教徒の方が行為においては成熟していたからである。
<コメント>
キネシオロジーテストでは現在のキリスト教は498であるという。欧米の文化が真のキリスト教を堕落させたと断言できる。
その点、神道は950とあらゆる宗教の中でも最高のレベルを示している。(2009年1月20日のHP参照)
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