小沢一郎民主党代表の辞任騒動について

 

2007年10月30日の党首会談以降、いろいろな問題が浮き彫りにされ、11月7日の小沢一郎民主党代表(1942年5月24日生まれ⇒年数:7、月数:5、日数:6)の続投表明により一連の辞任騒動は終結した。

<1>2007年10月30日  第1回党首会談

福田康夫首相(1936年7月16日生まれ⇒年数:1、月数:7、日数:7)サイドからの呼びかけにより、小沢一郎代表が党首会談に応じた。

福田首相から新テロ特措法案の今国会成立に協力を求められたが応じず、周囲に「福田政権は行き詰っていると感じた」と漏らす。

<2>2007年11月1日   テロ対策特別措置法が期限切れとなる。

<3>2007年11月2日   第2回党首会談

福田康夫首相から連立政権樹立に向けた政策協議の提案を受け党に持ち帰ったが、役員会で反対され、提案の拒否を伝える。

<4>2007年11月3日   小沢一郎氏、民主党代表の辞任を決意する。

<5>2007年11月4日   小沢一郎氏、民主党代表の辞任表明する。

小沢氏の側近が早朝、JR名古屋駅近くのホテルに宿泊していた鳩山由紀夫幹事長(1947年2月11日生まれ⇒年数:3、月数:2、日数:2)に辞職願いを提出する。

夕方、党本部で会見し、「連立政権の樹立をめぐり、政治的混乱が生じたことを受け、党内外に対するけじめとして代表の職を辞することを決意した」と辞任表明する。

<6>2007年11月5日   民主党役員会で小沢代表の辞表を受理せず、慰留を決定する。

夕方、菅直人(1946年10月10日生まれ⇒年数:2、月数:10、日数:1)と鳩山由紀夫両氏が辞意撤回を要請し、小沢氏は回答を保留した。

<7>2007年11月6日   役員会で小沢代表の続投を決定する。

民主党は役員会、常任幹事会を相次いで開き、小沢氏続投を求める方針を確認する。

午後、民主党衆参両院の当選回数別懇談会で代表続投を求める執行部の方針を了承する。

夜、菅、鳩山両氏が小沢氏に続投を要請し小沢氏が受諾する。

<8>2007年11月7日   小沢氏、代表続投を正式に表明する。

民主党の衆参両院議員懇談会で一連の経緯を説明し、その後、小沢氏が記者会見で代表続投を正式に表明する。

 

 小沢一郎代表の両院議員懇談会での発言

7月の参院選大勝利の瞬間から2つの思いが深くなった。

1.次の選挙で民主党政権を樹立しなければならないが、参院選勝利後の楽観的な考え方ではおぼつかないとの危機感

2.参院選で約束した政策を衆参ねじれ国会でどう実現するかである

福田康夫首相から党首会談を呼びかけられ、安保政策で首相が最大限の譲歩を示し、連立政権樹立を要請されたとき、この2つの課題を同時に解決する1つの方法かもしれないと考えた。

*福田首相の最大限の譲歩とは、自衛隊の海外派遣は国連の決議に基づく活動に限定し、特定の国(アメリカ)の軍事作戦の支援活動はしないと確約したことを意味する。

 小沢一郎代表の記者会見での発言

1.党首会談に至った経緯と会談の中身は何か?

約2ヶ月前、さる人(読売新聞会長・渡辺恒雄氏)から呼び出された。

「国のため大連立を」との話だったが、「政権を担っている人が判断する話だ」と言った。

先月半ば以降、首相の代理人(森 喜朗元首相)と会った。

「首相もぜひ連立したいということだ」という話であり、首相がそういう考えなら直接お話を伺うのが筋ではないかと返し、党首会談の申し入れになった。

2.二大政党制を唱えてきたのに、なぜ大連立を否定しなかったのか?

安保政策、平和貢献について首相が今までの政府の考えや憲法解釈を180度転換すると確約した。

国民のための政策が実現できれば、民主党の政権担当能力も証明される。

それも、二大政党制が可能になる1つの方法かなと思った。

3.辞意表明は軽率だったか?

体も精神もかなりくたびれていた。

気力が途切れ、プッツンした。

 

<コメント>

大連立構想の仕掛人は、憲法改正論者の渡辺恒雄氏であり、首相の代理人は森 喜朗元首相であった。

安倍晋三前首相も小沢一郎民主党代表に党首会談を呼びかけたが、断られた経緯がある。

仕掛人は用意周到に根回しをして、党首会談に持ち込んだと思われる。

小沢一郎代表は武士道精神に基づき、仕掛人の名前を公表しなかったのは流石である。

今回の辞任騒動(あるいは、大連立騒動)は、波動指数から見ても、福田康夫首相に有利に作用した。

(2007年10月30日の波動)・・・・・・小沢代表→28ポイント、福田首相→30ポイント

(2007年11月2日の波動)・・・・・・小沢代表→23ポイント、福田首相→36ポイント

(2007年11月3日の波動)・・・・・・小沢代表→18ポイント(ダブル転換点)、福田首相→42ポイント

(2007年11月4日の波動)・・・・・・小沢代表→17ポイント、福田首相→37ポイント

(2007年11月6日の波動)・・・・・・小沢代表→16ポイント(ダブル転換点)、福田首相→36ポイント

(2007年11月7日の波動)・・・・・・小沢代表→14ポイント、福田首相→35ポイント

福田首相も小沢代表も来年は転換点の年となり、トリプル転換点になる。

福田首相の転換点の月は、1月、4月、7月、10月であり、小沢代表の転換点の月は、2月、5月、8月、11月である。

4月に解散総選挙がなされれば、小沢代表が有利となる。

福田首相にとって、今年中の解散総選挙の方が有利であることは間違いない。

 

 

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