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<正念(しょうねん)⇒正しく念ずる。正しい目的意識を持つ>
念とは思い願うエネルギーのことである。
私たちの想念はすべて記録し保存されているが、不調和な念は反省することによって改善されるのである。
反省は神が与えた慈悲である。
地球そのものも神の体の一部であり大神殿であるから正しい念は必ず守護霊に通ずる。
*守護霊は魂の先祖のことであり、肉体先祖の霊ではない。本体1、分身5の生命の構成は変わらない。守護霊は変わる事無く一生見守り続ける。守護霊が変わると言っている霊能者は偽物であると断言する。もし変わると言っている霊能者は自分が動物霊や地獄霊に憑依されていることを証明しているのと同じである。
神社仏閣の中には霊域の高い場所もあって実在界の諸天善神が常に連絡場所として一念が現象化される場合もある。
しかし神社仏閣はどこでも霊域が高い所だと信ずることは危険であり不幸を呼び込むこともあり得る。⇒神社に光の宮柱が立っているところだけ参拝することをお願いしたい。
*高橋信次先生は「日本の神道について少しも触れられていない」との質問に対して「今、神道のことを書くと日本人は神社神道のことだと思っているから誤解する人が増える。国粋主義の右翼が騒いで危ない。古神道の神理は正法である。」と語った。
*1800年前の日本に大日如来(ヴェルシャナー)が生まれた。卑弥呼の時代に大日如来が天照大神として祭られたという。(これについては最後のところで私見を述べる。)
正しい念を持っている人々には必ず神仏の光によって保護され不調和な霊に支配されることはない。
不自然な新興宗教や不調和な仕事に専念しているために不幸になっている人々は多い。
人間は生き神様になれない。
神仏の心と調和することは自分自身の正しい念と行為以外にない。
念はエネルギーであり、そのエネルギーは必ず自分自身に返ってくるので善念を発信することである。
(正念の目的)
念の方向が自分本位であればあるほど苦悩が多く心にカルマを造ってしまう。
人の幸・不幸の分かれ目は心の中の思うこと、念ずることによって決定されていく。
正しい目的意識をもって念ずることが大切である。
信仰ある祈りが正念である。
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